秋の高山祭(八幡祭)の屋台

神楽台

  • 神楽台1
  • 神楽台2
  • 神楽台3
  • 神楽台4
  • 神楽台5

秋祭りの屋台の中で唯一屋根のない屋台。
上段には大太鼓を配し、太鼓に取り付けられた3本の金幣は天照大神、春日大神、八幡大神を象徴したもので、前後に総飾りををくわえた鳳凰一対が羽根を広げている。

屋台の特徴

Point 1屋台の特徴

屋根なし、太鼓昇降、三輪外御所車。
中段の幕は緋羅紗幕に村山民次郎が下絵を描き、京都の西陣で刺繍を施した立派なものである。
屋台の役割

Point 2屋台の役割

常に獅子舞を伴い、御神幸の先頭を行き道中の穢れや悪霊からお祓いをする意味を持つ。
獅子舞は、徳兵衛獅子舞の流れを汲む獅子舞が伝わる。
装飾の特徴

Point 3装飾の特徴

文化12年(1815)田中大秀が設計考案 これが、その後の神楽台の型式となった。工匠・組内の風井屋長右衛門/忍屋某、塗り師・輪島屋喜兵衛。その後、嘉永年間(1848~54)に修理している。
明治36年例祭後、工匠村山民次郎が下段はそのままで、中段には伊達柱を立て、幣軸を立てたり神旗・勾欄・雲・幣・鳳凰をつけこの改修で現在の神楽台の形となった。
屋台曳きの装束

Point 4屋台曳きの装束

曳子6~8名は、昭和33年には麻布大赫染着付、同色の素袍、2つ折り烏帽子で奉仕していたが、紺地に朱で宮本の字を染抜いた腹当に、茶色地(保存委員は緑色地)籠目模様のカルサン、茶色地に朱の太鼓文様染の胸当てをつけ、奴笠に草履を穿くようになった。
屋台囃子

Point 5屋台囃子

飛騨に伝わる徳兵衛獅子のうち、六曲ほどを伝授。かつては、山口村(大八賀郷、現在の山口町)の人が奉仕したので、兵助獅子舞とも呼ばれていた。
台紋と提灯

Point 6台紋と提灯

飛騨の国主金森氏第三代重頼の弟重勝が縄手町(江名子川通り北側の旧称)から八幡町にかけて邸宅を構え、桜山八幡宮を崇敬し、秘蔵の大太鼓と獅子頭を寄進された。
その下付された大太鼓と獅子頭を持っているため、「宮本台」と称し、祭礼巡行の先頭をゆき行列を統率した。「宮本」の宮の字を台紋としている。
からくり 行われていない。
見送り幕 見送り幕はない。

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